楽器製作は決して一人では出来ないこと

ここ数日間、しばらく考え込んでいたことがあります。それは楽器製作は決して一人では出来ないことだということ。

人手が必要という意味ではありません。例えば、彫刻や絵画といった類は個人の思想の大成であり、観てもらうためという点はあるものの、一人で活動することが出来ますが、楽器は決してそうではないのですね。

楽器は美観も求められる一方、実用品であり道具です。特にヴァイオリンは楽器そのものの機能はもちろんのことと同時にその美観も一つの大きな要素であるがために美観を求めすぎることもしばしばです。

ヴァイオリン製作家というと、一人で黙々と根気よく製作活動をしているというイメージがあるかもしれません。それは間違っていませんし、考えながら製作を続けてゆくわけです。各要素を考えながらパーツを製作し、バランスよく組み合わせて「薪のような木材」を「楽器」へと昇華させます。美観は機能の現れであって、機能美という面を持っています。

一人で製作をしていると忘れがちになってしまい、落とし穴に落ちてしまうことも。それは奏者の存在です。私は集中すればするほど、この落とし穴に落ちてしまいがちのようです。

良い楽器を作りたい。そう願えば願うほどにこの落とし穴、深い闇の中に引き込まれてしまいます。機能美を求めるが故に外観に囚われてしまったり、加工精度に集中してしまいます。それは結構なことだと思いますが、その過程に真の理解があるかということが重要ではないでしょうか。

そして表題のとおり、楽器製作は一人ではできない理由には奏者の存在があります。製作中に奏者の存在を感じているのかと問われれば、時々感じるというのが正直なところでした。ですが、製作中においては常に奏者の求める音色とそのダイナミクス、その他諸々を、あたかも奏者が側に居るかのように意識しなければならないということを考えさせられています。そうでなければ自己満足の楽器として終わってしまうのではないだろうかと考えていました。簡単なことかもしれませんが、非常に重要な要素だと思います。

機能美として理由のある美しさについて、そして奏者がいてこその楽器であると考えていた次第です。

アンドレア・アマティのモデルですが、バスバーを取り付けて表板と裏板のチューニングが完了しました。

いよいよ組み立ての段階に移りつつあります。ようやくサウンド・ボックスになるわけですね。

バスバーのフィッティング前
バスバーのフィッティング前
バスバーの接着中
バスバーの接着中

膠が固着するまでの間、ネック・スクロールに取り組んでいました。今日は粗彫りまでです。明日以降、細部の加工とクリーニングを施す予定です。

ペグボックスのカッティング
ペグボックスのカッティング
粗彫りを終えたところ
粗彫りを終えたところ

 

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